高校球児の甲子園宿舎として、半世紀以上にわたって親しまれてきた旅館「尼宝(にほう)館」(兵庫県尼崎市)が、愛媛県高野連から表彰を受けた。昨秋、あるじの病気でやむなく閉館。県勢の定宿としてきた同高野連が長年の感謝の気持ちを込めた。おかみの田中美佐子さん(71)は「子や孫のような選手との出会いは一生の宝物」と話す。今春のセンバツでは、一観客として声援を送るつもりだ。
戦後すぐに開館。阪神電車で甲子園に直結する便利さから1958年夏に初めて魚津(富山県)の宿舎となった。以来、北海道、福島、山梨、山形などの高校が利用。88年以降は愛媛県勢の定宿となり、96年夏には松山商が、04年春には済美が全国制覇した。
切り盛りする田中さん夫妻は大会中、毎日午前4時ごろ起床し、睡眠は3時間ほど。美佐子さんは、食中毒に細心の注意を払いながら、夫三郎さん(81)と選手が飽きないメニューを考え続けてきた。だが3年前、三郎さんが胃がんを宣告された。夫妻は「大会中に倒れたら迷惑をかける」と昨年10月限りでの廃業を決めた。
大会を終えて帰郷する選手たちにはいつも、再び甲子園に来られるようにと「行ってらっしゃい」と声を掛けてきた。だが、昨夏出場した西条ナインには「行ってらっしゃい」が言えなかった。廃業の寂しさが胸に迫ったという。
年賀状のやりとりなど、交流を続けている選手は数知れない。先月15日には、西条出身で昨夏の甲子園に出場した阪神タイガースの秋山拓巳選手が訪ね、閉館を惜しんだという。
先月23日、松山市の道後温泉であった表彰式には、過去の出場校監督らも駆けつけた。宇和島東時代も含め春夏15回の甲子園を経験した済美の上甲正典監督(62)は「かゆい所に手の届く旅館で、選手が体調を崩すことは一度もなかった。感謝の思いでいっぱいだ」とねぎらった。
日本高野連によると、昨夏の甲子園出場49校のうち、宿泊が旅館だったのは尼宝館を含め6校だけ。高野連は「以前は阪神甲子園球場に近い西宮市にも旅館が多かったが、阪神大震災後は廃業が相次ぎ、大阪や神戸のホテルに移るチームが増えた」と説明する。【津久井達】
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posted by ジャンルーイ at 06:58|
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